カテゴリー「五つの心得の条」の3件の記事

2008年6月21日 (土)

心得の条(その3):テーブル

ここのところ、少し疲れが出てきているようだ。 上司にも、医師にも、カウンセラーの先生やデイケアでお世話になった心療心理士の方にも、いさめられました。

もしかすると、「リハビリ」なんていう考え方自体が、間違っているのかもしれん。 

「調子の悪いときも、良いときも休むべき」とのことだ。

頭では分かっていてもやはり漠然とした焦燥感は抜けない。 給料に見合った働きができていないと思えるだけに、休みをとっても、たぶん、いまだに上手に休めてない。 休み方が上達してないというか、色々できるようになる事が回復につながるとい思い込みで、ベクトルが違って来るんだと思う。

『がんばっちゃダメ』っていうのが・・・難しいの(´ω`)ゞ

今日は、五つの心得の条(その3):テーブル を ご紹介します。
できれば、まだ うつ病になる前の予備軍の人に読んでもらいたい。 一度なっちまうと、きっついで、まじで・・・。

仕事には常に2種類の作業がある様に思える。 計画内作業と計画外作業。 トップダウン作業(会社として必要な作業)と自発的作業(自分で必要と判断した作業)。 どの部署がやるべきか明確な作業とハザマ作業。 上司を介して依頼される作業と横通しで依頼される作業などなど・・・。

ここで、ある考え違い(自分もそうでした)をすると、非常に苦しくなるのだ。

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2008年5月25日 (日)

心得の条(その2):はまり役

最近は、週末も早起き。 ただ、その週の疲労度に応じた様々なダメージが来るので、週末に積極的な予定を入れるのは、もう少し先になりそうです。 昨日は、昼食に食べたラーメンの味が分からず、少し焦った^^; そういう味なのか、味覚がおかしいのか・・・不明。

人生という絵日記に、「今日も昨日と同じだった」と書き続ける日々。 あと、何ページあるんだろ。 でも、いまはしょうがない。 もう、それでいい。 そのうち・・・、治るだろ・・・。

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今日は、デイケア先で教わった『あれれ、今おれはナンか苦しいぞ!』と、感じたときの自分が陥っている状況をチェックするツール(その2);『はまり役』を紹介します。

TVドラマの俳優さんを例に説明してくれました。

TVを見ていると、中には器用な俳優さんもいて様々な役をこなせる方もいますが、それが悪役にしろ善役にしろ、最初に周囲に名が売れた作品で一度「この俳優さんとくれば、XXXの役」というイメージが定着してしまうと、もうその俳優さんは、そういう役柄の仕事しか出来なくなってくるそうです。 本人が別の役柄を希望しても、周囲がそれを許さない状況。 時代劇の悪代官さんがしょっちゅう同じ俳優さんだったりとかね。 

これは、

・プラスの面の影に潜んで、マイナス面が見えなくなる点
・自分だけではコントロールできなくなってくる側面

という点で、うつ病の原因となるストレス(追い詰められる元凶)としては怖い所だなと感じました。

①会社での業務経歴から「役どころ」が固まってくると、周囲の認識として
          「この仕事は、もう当然のように、この人」
②当人は、経験分野でもあり、頼られてもいるので、当然のようにやる。
③周囲も「その人がやること」になると、フェードアウトして手を引く。 もう、まかした。

一見、淡々と仕事が進んでいるように見えてしまいます。が、当人にも見えない無理がその人に積みあがります。

①その人にしか出来ない作業になってしまう。 仕事が人についてしまう。
②いつのまにか、『まとめ役』になっている。気が付くと、一人被告(´∀`;)
③並列・重複している事を、誰も認識できず、肩代わりも出来ない。
④引き受けた以上、自分の責任だ。⇒ 自分でなんとかしなければ!
⑤人・物・金・時間・優先度は、当人には権限がない。⇒自分でやるしかない!
  (責任と権限を越える中でのハンドリングをしなければならなくなる)
⑥相談しても、無駄という諦め

これが風潮として長期化すると・・・、関連する業務は全てその人に重複・集中してしまう。

もう日々限界までただガムシャラに作業するだけで、計画もマネージメントもなにもあったものではない。 一見、少ない専門人員で多くの仕事をこなしていて効率的に見える裏面で、この状況は、当人にとっても、会社にとっても、好ましくない状況になっていく。

「当人は限界までがんばっちゃってるので、マネジメントや十分な報告まで手が回らない」
「問題の本質が報告されないので、上司や会社としても必要対応が認識できない。」
「後輩や代行者を育てる余裕が当人になく、職場としても代行者が育たない」
(人にまかせるより自分でやった方が早いと思い込み、抱え込んでしまう)
「もうダメぽ\(´д`;)ノな状況になってから、問題発覚しても誰も手の打ち様が無い」
「当人はもうイッパイイッパイなので、その業務上のノウハウを会社の財産として吸い上げ、システム化できない」(その人がいなくなったら、消えてしまう財産)

ホウレンソウ と一言で言うのは簡単だ。 が、「それをしても応答がなかった」、「不都合な報告をするとそれに対してのみ突付かれる」、「とにかくやるしかないという精神論に落とされ続ける」等、組織として対処する風土風潮がないと、「結局やるのは自分だ・・・」という『諦め』が出てきて、「ホウレンソウ しても無駄なら 無駄作業」なんて思うようになってしまう。 

本来、こういった業務負荷に対する人員のマネージメントは、マネージャの仕事だ。 会社として受注している仕事は、組織として対応すべきだ。 だが、マネージャも人であって超能力者ではなく、当人以上の雑多な情報とガンジガラメの中にいる。 上司を飛び越えて入ってくる業務が、認識されていない事もあるのだ。 「SOSな状況であることを、上司が手を打てる余裕のある時期に報告」し、「どうしていくべきかを提案したり、周囲を巻き込んで相談をし方針決定していく事」は、問題の認識共有化も含めて、自分を守る上でも、会社の動き方としても正しいと思う。 理想論だと言われそうだが、「困った時はお互い様」と、「SOSフラグが立てば、助け合う風土」も作らないと・・・。 

これは自分の『はまり役』だからと、一人で抱え込んで諦め、無理してでもなんとかする」を続けてはいけないのだ。

身が持たんぞ(´ω`)b

ただ、この問題は、当人の業務・意識改革も必要だが、会社や職場の風土の歪み、周囲の認識も正していかなければ解決しない。 だから難しい。 だからこそ、ホウレンソウを諦めちゃいけない。(「問題ないという報告しか上に上がらない風土」ほど危ないと思う。 改善の機会を失う。)

今は、会社全体の動きとして、その辺を変えていく試みを始めているのが見える。負荷の均一化、情報や問題点の共有化、皆が楽になれる改善の模索といった、「皆にとって良い会社にしたい!」という改革のベクトルが見えるようになってきてると思う。 愚痴を言えばキリが無く、成果が見えてくるのはまだ先だと思うが、改革にも時間がかかるのは理解できる。

会社というシステムは、ちゃんと歪みが生じている事が認識されれば、システムとして改善しようとするモーメントが働くのだ。 まともな会社なら、そうであると信じたい。 そして、2年半近くも病気休職で急に職場に穴を開けたにも関わらず、(職場の後任者や上司には心配と無理をかけたかもしれませんが)会社としては淡々と業務をこなしていた。 会社というシステムは、本来そうあるべきだし、良くない表現かもしれんがある意味『そんなもの』なのだ。

だから、

これは自分でやらなくちゃ! 『オレのはまり役だから!』

などと、勝手に諦めて、勝手に全部背負い込んで、イッパイイッパになっていませんか? 又は、そういう人が周囲にいませんか?

身体を壊すまでがんばっちゃう前に、立ち止まって客観視。
「必要ならSOS信号を早めにちゃんと出す」を諦めずにしてみて下さいな。

これが、次に教わった 気持ちを楽にするツール(その3):テーブル に つづく。

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2008年4月28日 (月)

心得の条(その1):あめ玉

気が付けば、余裕なきままGWに突入です。 計画など余裕なし・・・。 やはり二日はまともに動けませんね。

復職に際し、「あれれ、今自分はなんか苦しいぞ?!」と思った時にCHECKしてみてくださいとデイケア先で教わり、この半年気をつけるようにしている心得の条があります。

今日は「(その1):あめ玉」のお話です。

最近のあめ玉は、過剰包装が気になりませんか? 表の色とりどりの人の目をひく袋の中に、さらに小奇麗な小袋や包みでくるまれたあめ玉。

中に入っているあめ玉が、ご自分の【本当の気持ち】と思い、客観的に観て見てください。

人は、多かれ少なかれ、この包みや小袋などで、【本当の気持ち】を、よそ行き用に何重にもくるんでいるんだそうです。 そうすると、自分でも自分の【本当の気持ち】が見えなくなってしまう。 これが、積もり積もると、どんどん自分が苦しくなってくるのだそうです。

例えば、

会社では【肩書き】やら【立場】という包装紙が、本当の気持ちを包んでいます。 【肩書き】や【立場】上、本心とは異なる事でも「言わなければならない」、「やらなければならない」、「Yesといわなければならない」そう思い込むことで、どんどん包み紙は多くなっていき、自分が苦しくなっていくのだそうです。 

帰宅してご家族がおられる方ならば、更に、【家族に対する包装紙】で、意図せずに自分の気持ちをくるんでいるかもしれませんね。 実際、実家に帰省したりすると、調子の悪い事は伝えるが、なんとなしに元気、順調に回復中という所を見せようとする。 ので、疲れるのだ^^;

もちろん、これらはある程度必要な包装紙であることは分かっています。 全員が裸のあめ玉で付き合い、本心になんのフィルタも掛けずに口にだしていたら、面白いとんでもない社会になるかも。 でも、たまには自分の本当の気持ちにも気付いてあげて、表に出してみてもいいんじゃない? 別に、それをやったからといって、誰かに良くない思いをさせないかな?というと、案外、そんなことは一時的なことで、気にしてない事の方がほとんどだ。 べつに「キレろ!」とかそういう意味じゃありませんよ。 人に「自分はこう思う」と言われて、違う考え方を持っていても、別にそれで関係がこじれるとかなんて事にはならんでしょう? むしろ、全員同じ考えだったら、人間という種族は終わりだと思うぞ。 自分の気持ちは、出してもいいのだ。 TPOはあるけどね。

それが、この半年、自分なりに周囲を観察して、分かってきたことだ。 皆、ちゃんと人間らしく、上手に自分の感情や気持ちを表に出しているではないか。

おれはそこら辺がはっきりいって、ヘタクソだ。 相手の立場を理解しようとしすぎて、余計な気を回しすぎてたきがする。

でも最近は、言わないで後で後悔するよりは言ったほうが良いと思えることは言うことにした。 当然、それに対する反論も有って然るべきだし、そういう考え方もあるのか・・・と勉強になることも多い。 なにより、自分の中だけで【こうすべき。こうするしかない。】という堅い考え方がグルグルすることも減ってきたように思う。

ちなみに、こういった気付きと修正は、焦ると逆効果だと思う。 とにかく【やらなくちゃ】とは思い込まないことだ。 たまに でいいのだ。

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